学校で学ぶ全ては仕事のため

昔から学校の役割について興味があって機会あるごとに考えてきた。最近強く思うことは、小、中、高、大学、大学院も含めて、学校の最終的な役割は、学生が適切な職業で仕事に励むのを支援することではないかということだ。

人生、大きな病気や事故を経験しなければ、70歳、80歳まで生きることができるようになってきた。こんな長寿社会では、学校に在籍する時間よりも、社会で仕事をしている時間の方が圧倒的に長いのだ。人生のメインイベントは、明らかにこの「仕事をしている時間」である。

「仕事」といっても狭い意味での話ではない。芸術家は芸術作品を作るのが仕事である。科学者は研究を通して未知の領域を明らかにしていくのが仕事である。社会に属する大半の人間が既に仕事に関わっている。学校はこのことを意識して、学生たちに接するべきだと思うようになった。

例えば小学校1年生で、「ひらがな」「カタカナ」を学ぶが、それは彼らが将来の仕事に必要だから学ぶのだ。足し算、引き算、掛け算、割り算も同じことである。仕事に必要だから学ぶのだ。中学で学ぶ内容は、高校受験のために学ぶのではない。その内容が、将来の彼らの仕事に必要だから学ぶのだ。同じように高校の内容も大学受験のためではない。大学は人生の目的ではなく、単なる通過点の1つに過ぎないのだ。高校の内容は将来の仕事に必要だから学ぶべきなのだ。大学も然り。物理、数学、化学、工学、経済学、社会学政治学・・・ 全て大学卒業後の仕事に必要だから学ぶのだ。もちろん大学院に進学して研究者になるとしても、研究することが仕事だから学部で学ぶ内容は仕事のためなのだ。

このように学校で学ぶ全ての内容は「将来の仕事に必要だから」という前提で学ばなければならないと思う。教える側は、教える内容が「社会では仕事を通してどのように使われているのか」ということを常に演繹できなければならないと思う。学生たちには小さい頃から、将来仕事をしている自分たちの姿をイメージさせるべきだと思う。小学校で将来の就きたい職業のアンケートには、決まって「野球選手」「サッカー選手」「お花屋さん」「ケーキ屋さん」といった職業が並ぶ。しかし、これは彼らが現実の仕事についての情報をほとんど持っていないことが原因だろう。情報を持っていないので、テレビを通したイメージや狭い自分の世界から、こういった職業を選んでくるのだろう。

目指すべきなのはそのようなものではなく、もっとリアルな社会観を小さい頃から子供たちに持たせることだと思う。世の中には様々な仕事があるのだ。薬を作る仕事、コンピュータのプログラマ原油を掘削する仕事、機械のエンジニア、電気のエンジニア、病院の心理カウンセラー、福祉関係、貿易関係、農業、宮大工、歌手、ダンサー、作家、教師、スポーツ選手、研究者・・・

世の中には様々な仕事があり、子供たちはいろんなチャンスがあり、学校で学ぶ内容は、これらの仕事に必要なことなのだ。学生にはこのことを教えることが大切だと思う。問題は教師たちが持っているバックグラウンドがあまりにも画一的なことだと思う。大半の教師は、教師以外の職業に就いたことがないのだ。だから自分たちの教える内容が「社会でどのように応用されているのか」ということが、教師にも実感できないことが多いに違いない。子供たちの学習意欲が低下しつつあるらしい。もしそれが事実なら、彼らは「何のために学ぶのかが分からないことにエネルギーを注ぎたくない」と考えているかもしれない。これは合理的な反応だと思う。だから彼らに「何のために必要なのか」、情報を提供するべきだと思うのだ。それが学校の役割だと思う。