確定申告と国民意識

サラリーマンの場合,株式投資で20万以上の利益を出すと確定申告を行わなくてはならない.2006年は,投資でいろいろ実験的な試みを行ってみたが,幸か不幸か,利益を20万以上出してしまった.つまり煩雑な確定申告をするはめになってしまった.
 
しかし,書類作成の準備で1年間の投資成績をかき集めながら,「人生はコメディーだ」と思ってしまった.時間とエネルギーをかけて申請するが,それは税金を取られるために行うのだから.なかなか自虐的な行為である.
 
と,同時に「政治」についても考えていた.平和な先進国の場合,国民が「政府」との直接的なつながりを実感出来るのが,「選挙」と「税の申告」ぐらいしかないからだ.政府の重要な役割に「安全保障」があるが,それは日常では実感することのない「空気」のようなものである.無くなって初めてその重要性が実感出来るが,日頃意識することはないものだからだ.
 
そのようなことを考えると,政府にとって「確定申告」とは,歳入を賄うと同時に,国民に「国家の一員である」という認識を「刷り込む」非常に重要な機会である.
 
もしこの考えがある程度意味を持つとすると,税金などがほとんど無料に近いサウジアラビアなどの裕福な中東国家では,国民の国家に対する関心を維持する機会が少なく,国家としての一体感を保つのが難しいのではないだろうか.イスラム教の影響は政府以上に大きく,選挙権も限られている.
 
このように,「納税機会が少ない」,「国境を越えた宗教」,「限られた選挙権」などの国民意識を欠落させるの条件に,オイルマネーで働かなくても生きていける環境が加わったら,一体何が起こるだろうか.サウジアラビアでは裕福な家庭で育った若者がテロ組織に加わる事例が後を絶たない.その要因に,これらの要素が関係していはいないだろうか.