社会起業家(Social Entrepreneur)

社会起業家 (Social Entrepreneur)」に興味がある。社会問題をビジネスを通して解決して行こうというコンセプトだ。このコンセプトは「社会問題をサポートする事業の継続性」という観点、また「働く」という行為の意味から、とても大きな関心を持っている。
 
私は学生時代にいくつかのボランティアを経験しているのだが、やはり財務の問題が大きいと感じている。日本の場合、寄付や財団からの援助が大きな収入源となっている。しかし無償の援助というのは一過性になりがちで、それに活動の基盤を預けるのはリスクが高いと考えていた。キャッシュフローが尽きて事業が中断したとして、一番困るのはサポートを受けている人達なのだ。収入源の大半を寄付や財団からの援助に頼るということは、活動の継続性に関してリスクを高めているのだ。また、収入源の大半を特定財団や公共機関からの援助に頼っている場合、どうしても資金提供者の思惑が事業に影響する。悲惨なケースでは、地方行政の緊縮財政政策に巻き込まれ、行政サービスの下請けのようなことをさせられている場合もあるだろう。これは事業の設立趣旨とはそぐわないはずだ。
 
あるアメリカ発のNPOでボランティアをしていたとき、アメリカの活動状況について話を聞いた。このNPOアメリカ発でも、日本とアメリカでは経営母体が異なり、運営方法も異なっているのである。アメリカでは組織内に専任の営業部隊がおり、彼らが外回りをして運営資金を獲得してくるらしい。その営業部隊は、民間企業の営業職でマーケティングなどの専門知識を身に付けた人達である。一方、日本の場合は単一の財団から細々と資金が提供されて、苦しい財務状況であった。
 
私が社会企業というコンセプトに関心をもったのは、このような問題意識に対する有効なソルーションであるからだ。あくまでも「ビジネス」なので、活動資金を事業を通して調達できるからだ。もちろん有効なビジネスモデルでなければならないが。また、事業費を自分達で調達することによって、事業活動により責任を持って取り組めるという効果もあるだろう。
 
本やインターネットでいろいろ調べてみると、欧米では10年から20年ぐらいの歴史があり、ますます関心が高まりつつあるようだ。私はiTunesを通して、アメリカのスタンフォード大学Podcastをダウンロードして社会起業の情報を沢山集めているが、彼らは優秀なビジネスマンであったり、高度な知識を身に付けた研究者だったりする。社会的な地位の高い人達が、「よりよい社会も作りたい」という純粋な気持ちで活動していることが多いようだ。
 
一方、大阪で開かれた社会起業のワークショップに参加して日本の現状を聞くと、驚いたことにメインは20代の若者であるという。社会経験もまだ少なく、個人資産も少ないはずだが、問題意識が高く社会問題を扱うベンチャーを立ち上げる人達が増えているという。アメリカで多い30代、40代の人間は、会社内で昇進する時期でもあるし、家庭を持ち、養育する子供もいるので、安定したサラリーマン生活を止めてベンチャーを起こす人間は多くないらしい。確かに、若者ならばベンチャーに失敗しても失うものは少ないのだが、この情報には少なからずショックを受けた。同時に、アメリカと日本の意識の違いに考えされられた。
 
社会起業家というコンセプトで関心を持ったもう1つの理由は、「働く」という意味について1つの答えを提示しているからだ。「なぜ働くのか?」という質問に対して、大抵の人間が思いつくのが「生活費を稼ぐため」だ。これはこれで大きな根拠となっているのだが、残念なことに「人間は生活費を稼ぐことだけで満足できない」。このことは、昔から言い継がれている「人は食べるために生きるにあらず、生きるために食べるのだ」という言葉にも表されている。生活費を稼ぐだけでは、「生きている実感、喜び」を得られないのだ。心の中のモヤモヤ感は解消することがなく、どこかで憂さ晴らしでもしたくなる心境から抜け出せない。
 
私達が本当に充実感を感じるときは、どのようなときだろうか。私が思うに「誰かから認められたとき」が一番の充実感を感じるようだ。これは人間が「社会的な生き物」だからかもしれない。「誰かに必要とされている」という実感は、人間に大きな希望を与えてくれるものなのだ。もし、自分が誰からも必要とされていない、という気持ちに襲われたら、心身ともに健康であっても、生きていくのが難しいに違いない。
 
社会企業というのは、「働く」という意味について、「生活費を稼ぐため」という一般解に対して強力なアンチテーゼとなる可能性がある。なぜなら、社会に困っている人達がおり(需要)、その人達が求めているモノ・サービスを提供する(供給)からだ。本当に必要なモノを、必要としている人達へ提供するという事業は、関係者に充実感を与えるだろう。「仕事に貴賎なし」と言うけれど、少なくとも「貴」の仕事はあると思う。社会起業の盛り上がりが、少しは閉塞感の漂う日本によい影響を与えるのではないかと思ったりもする。
 
カナダ出身の知り合いに社会起業について聞いたが、カナダではそれほど盛んではないらしい。しかしそのかわり、カナダでは政府による社会のセーフネットが充実している。国民の社会問題や政治に対する関心も高いらしい。そんな話を聞いているうちに、政府に対する失望感が大きい国で社会企業が盛んなのではないか、と思うようになった。社会起業は、政府が絡んだ福祉サービスとは距離を置き、初めから政府に頼らず民間で完結するようなサービスを提供してしまおう、というものだからだ。
 
日本の課題としては、若者だけではなく社会の第一線で活躍しているビジネスマンが社会起業に関わるようになることだと思う。年収は減るかもしれないが、なんとか生活できるようなビジネスモデルを確立するには、やはり専門知識が必要なのだ。経済が成熟してしまい、過去のような右肩上がりの経済を期待できない日本。パイ自体は増えずに限られているので、激しいイス取り競争を繰り広げて疲弊している。この状況を打開するには、新しいマーケットを作り出してパイ自体を大きくしていく以外に方法はない。
 
日本のお家芸といわれる製造業だが、日本経済における割合は18%に過ぎない。経済の大半を占めているのはサービス業である。そしてそのサービス業は、他の先進国と比べて生産性が低いと指摘されている。社会起業というコンセプトを膨らませ、普及させていくことによって、サービスの生産性を高める方法について試行錯誤がおこなわれ、社会問題も緩和でき、働く人間にも生きがいを与える・・・そんな相乗効果が期待できるからこそ、私の関心も膨らんでいるのだ。