期待以上に面白い「資本主義と自由」

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

資本主義と自由 (日経BPクラシックス)

  • 序章
  • 第1章 経済的自由と政治的自由
  • 第2章 自由社会における政府の役割
  • 第3章 国内の金融政策
  • 第4章 国際金融政策と貿易
  • 第5章 財政政策
  • 第6章 教育における政府の役割
  • 第7章 資本主義と差別
  • 第8章 独占と社会的責任
  • 第9章 職業免許制度
  • 第10章 所得の分配
  • 第11章 社会福祉政策
  • 第12章 貧困対策
  • 第13章 結論

経済学を学んだ人間ならば知らない人はいないミルトン・フリードマン.生粋の自由主義者で,市場による効率的な資源の分配を主張してやまない.今では経済学の主流となった市場経済主義だが,近代の経済学はケインズの主張したような経済における政府の重要な役割が盛んに論じられていた.フリードマンは,この時代から市場経済の重要性を訴えており,反主流の立場から一時干されていた時もあったようだが,ようやく時代が彼の理論に追いついてきて,あらためて「市場」というものの役割が議論されている.この「資本主義と自由」という本は,1962年に初版がだされ,経済学では古典の部類に入る本だが,内容は今年出版されたものだと錯覚しそうなぐらいに違和感がない.現在の社会が,いかに「市場」と深く関わっているのかが伺い知れる.この昨今の市場の影響増大は,ITの発展と普及により,市場の情報を取り扱うコストが劇的に小さくなり,一般の参加者が必要な情報を集められるようになったことが要因だろう.情報が行き渡れば,それだけ市場は効率的に,効果的に機能するのだ.(二酸化炭素排出権取引も,その流れの一環である.)
 
私もフリードマンのように政府の役割は出来るだけ制限した方が良いと考えている.市場で自由競争がおこなわれている民間セクターに比べ,国には競争相手もいないし,倒産することもない.企業のような事業の成否を示す決算もないので,どうしてもモラルハザードがおこりやすいのである.このことは,昨今の官僚による不祥事を見れば納得出来るはずだ.国という存在は,信頼性が高そうだが頼るのにはリスクの高い存在なのだ.もしサービスが民間で行えるならば,非効率な経営や不祥事を起こせば倒産する恐れがあるので,彼らには一定の抑止力が働くのだ.
 
ただ,「民間セクターに委ねる」,「市場に委ねる」といっても前提があることを忘れてはならない.それは,市場経済が成り立つのは,「市場の参加者に取引に必要な情報が十分に行き渡っている」という条件が成立していることが必須である.十分な情報があれば,参加者は最も効率的な取引相手を見つけ,最も効果的な取引条件を知ることができるが,情報が不十分だと,それができない.フリードマンが指摘している市場が効果的に機能しない条件は,ある企業による市場の独占,政府の市場への干渉(規制),閉鎖的な業界内での談合,である.これらの要素は,市場の情報をゆがめ,最適な取引を妨げる.
 
そもそも国というのは事業主になるには,あまりにも非効率的な組織である.第3セクターなどが失敗する理由もここにある.国は事業主ではなく,市場を整備する黒子であるべきなのだ.このフリードマンの本を読むと,今の日本の国内政策に欠けている視点が明確に読み取ることができる.
 
さらに1つ付け加えると,彼の視点,いや,経済学は,社会そのものを客観的に観察しようとする学問であって,マクロの視点から人間社会を眺める道具である.そこには,一人の人間の喜怒哀楽,一生の続けるであろう試行錯誤,といった要素は無視している.その点が,人間をただ合理的に動くロボットのような存在のように扱っている気がして,現実味を薄めている.これは経済学固有の問題でいかんともしがたい.経済学に接する時に,いつも感じる違和感である.

フリードマンの「資本主義と自由」読んでいたら、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読み返したくなった。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版